そらもうアレよ ’23

東方BIG野球のプレー記録、その他諸々な感じです。

カテゴリ: 暗黒を考える

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前回このシリーズでTBS末期の横浜先発陣を取り上げたので今回は阪神暗黒期で記事を1本。
「4番平塚」というワードでもう暗黒感がにじみ出ていると思う方もいらっしゃるかもしれないが今回はその平塚を見てみる。
平塚 克洋(ひらつか かつひろ、1966年1月29日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(外野手)。
漫画『ど根性ガエル』に登場するキャラクター・佐川梅三郎に風貌がそっくりなことから、愛称はウメさん。(ウィキペディアより)
春日部共栄高等学校から明治大学、朝日生命を経て90年にドラフト3位で横浜大洋に入団。94年オリックスに移籍。96年からは阪神でプレーし99年6月西武へトレード。そして00年に西武で引退する。

と、いうわけで阪神に在籍していた96年から99年を取り上げたい。
まず4年間の成績は以下の通りだ。
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この成績を見てどうだろうか。それほど悪くはない成績を残している。特に97年はオールスターに出場するなどキャリアハイの成績を残しているのだ。98年以降試合数が減っているのは坪井や大豊らの加入が影響していると思われる。
そして各年ごとに4番を務めた回数は以下の通りになる。
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続いて4年間の各年で4番を務めた選手の成績を見てみたい。
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開幕4番は石嶺。その後はグレン桧山平塚が4番を打ち7月以降はマースが4番に。9月中旬からは新庄。平塚は15試合で4番スタメン。
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開幕4番は桧山。八木が数試合打った他は8・9月の一時期を除いて4番は桧山。その8・9月の一時期の4番は平塚とハイアット。平塚は27試合で4番スタメン。キャリアハイの成績を残しオールスター出場も。
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開幕4番はパウエル。八木が数試合打った他はパウエル・桧山・平塚らがオールスター前まで4番。8月以降は大豊が4番に。平塚は29試合で4番スタメン。
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開幕4番はブロワーズ。平塚はブロワーズが一時帰国中の8試合で4番スタメン。(6月以降新庄や大豊が4番を打っているが平塚移籍後のため集計せず)
以上が4年間の平塚と他4番を打った選手の成績である。こう見ると少なくとも阪神の中ではまともな成績を残していると思える。(桧山新庄は一発があっても安定感に欠ける、外国人は案の定。ちなみに神のお告げは4番は打っていない。)

さらに、キャリアハイの成績を残した97年の各球団の4番打者と平塚とを比較してみた。
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・・・こうして見ると物足りなさが見える。確実に勝ったと見れるのはキャリア晩年の落合にロッテの外国人キャリオンくらいだろう。他9球団の選手には打率か本塁打のどちらかで劣っている。 

これらの成績やデータを見るに、「平塚4番」が暗黒を代表するエピソードの1つとして言われるのは、平塚自身の不甲斐なさというよりは平塚を主砲に据えねばならない阪神の層の薄さを物語っていると言えるだろう。(個人的には下園の選球眼でポジっていたエピソードと印象が被る。下園の選球眼は良いのだがそれでポジるのは、ねぇ・・・)
平塚が阪神にいた90年代後半はセリーグの各球団は戦力が充実していた時期でもある。巨人は各球団の主軸打者を多く引き抜きヤクルトは野村ID野球の時代。中日はナゴヤドームへの本拠地移動で97年こそ最下位に沈んだがゴメスら実力ある打者で恐竜打線を組めば広島は緒方・前田・金本の外野陣に主砲江藤。そして横浜はマシンガン打線で38年ぶり日本一と90年代は阪神を除く5球団がペナントを制覇経験がありそれこそ各球団特に打線の戦力充実が窺える。そんな中毎年のように外国人を外し、たまに当ててもフロントや首脳陣ともめ退団してしまうという辺り阪神の苦しさが見えた。
最後にこの記事の参考にしたサイト様のURLを貼って終了としたい。
スタメンデータベース http://sta-men.jp/
プロ野球ベストオーダー http://bestorderp.webcrow.jp/

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さて、暗黒シリーズの第1回はTBS末期横浜の先発について見てみる。
今回は2008-2011年の4年間の先発回数上位8人の先発数や勝敗イニング、そしてその選手の立場について見てみたい。
ここで言う立場とは例えば若手や外国人といったものである。前々から私は「TBS末期のローテは番長・若手・外国人・外様の4人がメインだ。」と考えており、今回実際にそうなのか検証してみたことになる。
立場の区分は以下の通りになる。
・番長:皆様ご存知、ハマの番長・三浦大輔
・新人:新人投手 経験値リセットで翌年はいない気がする
・若手:プロ入り2-5年目の選手 経験値(ry
・中堅:新人若手に入らない横浜生え抜きの選手
・外様:他球団から移籍して来た選手 寺原とか山本省吾とか
・外国:外国人投手 球団創設以来1人も2桁勝った投手がいない
・復帰:横浜一筋ではないが外様でもない選手 具体的には大家友和
区分がベテランの投手がいないのかって?そんな先発投手が(番長以外に)横浜にいるわけないだろ。(リリーフなら木塚や川村がいたが・・・)
では前置きはこの辺りにして早速データを見てみよう。それと少々私の私見も書いておく。

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・三浦の登板数が少ないがこの年は戦線離脱の関係などが理由である。
・新人・小林が中々の奮闘。
・5勝12敗防御率6.47の那須野が登板数4位な辺り闇を感じる。

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・FA残留を見せた番長がまぁ例年通りの活躍。いなかったら本当にやばかっただろう。(この年は51勝93敗。番長不在ならまず彼に代わる投手はここにいない投手からも務めることになり戦力大幅ダウン。そしてイニングイーターがいなくなるため中継ぎも負担増加。もし番長がいなかったら本格的に100敗も見えただろう。)
・防御率こそ悪いがグリンがムエンゴに苦しむ。ゾウのグリンのコピペ誕生へ。(元々は元日ハム・スウィーニーらしいとも)
・小林、登板数減でリセットを感じる。珍プレーもやらかしていた。 (下記動画参照)
・途中入団したランドルフの活躍が光る。なお翌年以降。

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・番長、大不振。他球団だったら引退のピンチだっただろう。
・彗星のように現れたムエンゴ加賀繁登場。
・大家がアメリカから復帰。パワプロ2010だと強かった。
・地味様こと清水、5点台で10勝。何があったし。
・昨年活躍のランドルフ、なお。

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・高崎健太郎、昨年の加賀に引き続き2年連続のムエンゴ病に。
・番長復活。翌年感動の通算150勝達成へ。
・須田ァ!がデビュー。よく今の地位まで登りつめたものだ。
・国吉もデビュー。
・寺原とトレードで来た山本、どうしてこうなった。なお寺原はオリックスで2桁勝利。
・加賀、先発とリリーフを行ったりきたり。マシンガン継投の被害者の1人だろう。昨年大のムエンゴだったがこの年は開幕戦リリーフで勝ち投手に。

以上が08-11年に渡る4年間の主な先発の成績だった。この4年間で23人がリストに名を連ねた。(1年あたりリストに8人、09年のみ同数がいたため9人)毎年のように投手をとっかえひっかえしていたことが窺える。
この23人の内複数回リストに登場したのは7人だ。そのメンバーは三浦、小林、吉見、寺原、藤江、ランドルフ、加賀である。当然三浦は4年間全てに登場しているが小林太志が10年を除く3年でリスト入りしていた。
各区分ごとのリスト入り回数は、
外国人8
若手7
新人6
外様5
三浦4
中堅2(実質吉見)
復帰1(実質大家)
となった。
新人若手を足すと13となり圧倒的多数派、割合にすると約4割となった。これを見るに、学徒出陣した若手、毎年とっかえひっかえした外国人に番長三浦が主要な先発要員であることが見えた。それに補助的な役目として他球団から移籍してきた投手が先発に入る形となった。
こう見るとやはりと言うべきか案の定と言うべきか番長頼みな先発だったことが分かる。そして毎年のように他球団ならとっくに2軍に行ってそうな成績の投手が結構な試合・イニングを投げている辺り深刻な人材不足だったことが分かるだろう。
それが今や先発リリーフを中心とした投手陣の力で試合に勝つチームとなり念願のCS出場を果たした。あれから5年以上が経過し時の早さを感じるばかりである。

と、言うわけで何も考えずノープランで新しい記事ネタ、不定期連載ものを書きたいなと思い始めようと思います。
このシリーズは主にTBS末期の横浜や80年代後半-90年代の阪神を槍玉に中心に暗黒時代に陥ったチームがどんな状態だったのか、何が悪かったのか、そしてかれこれ横浜ファン歴が15年近くなり(今年Aクラスなったけど)ほぼほぼ悪い時期しか見てない私がどう見て感じていたのかなど書いてみようという感じでやってみようというネタです。んでもって今の自分の運営しているチームと比較したり現状を槍玉にあげたりするかもしれません。てかするでしょう。
とりあえずノープランのまま始めますという宣言の下始まりますがとりあえず1-2本は記事を書く予定はあります。その後どうなるかは分かりませんw
挨拶はこの辺りにして今回の記事を締めようと思います。それでは。

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