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前回このシリーズでTBS末期の横浜先発陣を取り上げたので今回は阪神暗黒期で記事を1本。
「4番平塚」というワードでもう暗黒感がにじみ出ていると思う方もいらっしゃるかもしれないが今回はその平塚を見てみる。
平塚 克洋(ひらつか かつひろ、1966年1月29日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(外野手)。
漫画『ど根性ガエル』に登場するキャラクター・佐川梅三郎に風貌がそっくりなことから、愛称はウメさん。(ウィキペディアより)
春日部共栄高等学校から明治大学、朝日生命を経て90年にドラフト3位で横浜大洋に入団。94年オリックスに移籍。96年からは阪神でプレーし99年6月西武へトレード。そして00年に西武で引退する。

と、いうわけで阪神に在籍していた96年から99年を取り上げたい。
まず4年間の成績は以下の通りだ。
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この成績を見てどうだろうか。それほど悪くはない成績を残している。特に97年はオールスターに出場するなどキャリアハイの成績を残しているのだ。98年以降試合数が減っているのは坪井や大豊らの加入が影響していると思われる。
そして各年ごとに4番を務めた回数は以下の通りになる。
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続いて4年間の各年で4番を務めた選手の成績を見てみたい。
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開幕4番は石嶺。その後はグレン桧山平塚が4番を打ち7月以降はマースが4番に。9月中旬からは新庄。平塚は15試合で4番スタメン。
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開幕4番は桧山。八木が数試合打った他は8・9月の一時期を除いて4番は桧山。その8・9月の一時期の4番は平塚とハイアット。平塚は27試合で4番スタメン。キャリアハイの成績を残しオールスター出場も。
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開幕4番はパウエル。八木が数試合打った他はパウエル・桧山・平塚らがオールスター前まで4番。8月以降は大豊が4番に。平塚は29試合で4番スタメン。
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開幕4番はブロワーズ。平塚はブロワーズが一時帰国中の8試合で4番スタメン。(6月以降新庄や大豊が4番を打っているが平塚移籍後のため集計せず)
以上が4年間の平塚と他4番を打った選手の成績である。こう見ると少なくとも阪神の中ではまともな成績を残していると思える。(桧山新庄は一発があっても安定感に欠ける、外国人は案の定。ちなみに神のお告げは4番は打っていない。)

さらに、キャリアハイの成績を残した97年の各球団の4番打者と平塚とを比較してみた。
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・・・こうして見ると物足りなさが見える。確実に勝ったと見れるのはキャリア晩年の落合にロッテの外国人キャリオンくらいだろう。他9球団の選手には打率か本塁打のどちらかで劣っている。 

これらの成績やデータを見るに、「平塚4番」が暗黒を代表するエピソードの1つとして言われるのは、平塚自身の不甲斐なさというよりは平塚を主砲に据えねばならない阪神の層の薄さを物語っていると言えるだろう。(個人的には下園の選球眼でポジっていたエピソードと印象が被る。下園の選球眼は良いのだがそれでポジるのは、ねぇ・・・)
平塚が阪神にいた90年代後半はセリーグの各球団は戦力が充実していた時期でもある。巨人は各球団の主軸打者を多く引き抜きヤクルトは野村ID野球の時代。中日はナゴヤドームへの本拠地移動で97年こそ最下位に沈んだがゴメスら実力ある打者で恐竜打線を組めば広島は緒方・前田・金本の外野陣に主砲江藤。そして横浜はマシンガン打線で38年ぶり日本一と90年代は阪神を除く5球団がペナントを制覇経験がありそれこそ各球団特に打線の戦力充実が窺える。そんな中毎年のように外国人を外し、たまに当ててもフロントや首脳陣ともめ退団してしまうという辺り阪神の苦しさが見えた。
最後にこの記事の参考にしたサイト様のURLを貼って終了としたい。
スタメンデータベース http://sta-men.jp/
プロ野球ベストオーダー http://bestorderp.webcrow.jp/