image
さて、暗黒シリーズの第1回はTBS末期横浜の先発について見てみる。
今回は2008-2011年の4年間の先発回数上位8人の先発数や勝敗イニング、そしてその選手の立場について見てみたい。
ここで言う立場とは例えば若手や外国人といったものである。前々から私は「TBS末期のローテは番長・若手・外国人・外様の4人がメインだ。」と考えており、今回実際にそうなのか検証してみたことになる。
立場の区分は以下の通りになる。
・番長:皆様ご存知、ハマの番長・三浦大輔
・新人:新人投手 経験値リセットで翌年はいない気がする
・若手:プロ入り2-5年目の選手 経験値(ry
・中堅:新人若手に入らない横浜生え抜きの選手
・外様:他球団から移籍して来た選手 寺原とか山本省吾とか
・外国:外国人投手 球団創設以来1人も2桁勝った投手がいない
・復帰:横浜一筋ではないが外様でもない選手 具体的には大家友和
区分がベテランの投手がいないのかって?そんな先発投手が(番長以外に)横浜にいるわけないだろ。(リリーフなら木塚や川村がいたが・・・)
では前置きはこの辺りにして早速データを見てみよう。それと少々私の私見も書いておく。

2bays08
・三浦の登板数が少ないがこの年は戦線離脱の関係などが理由である。
・新人・小林が中々の奮闘。
・5勝12敗防御率6.47の那須野が登板数4位な辺り闇を感じる。

2bays09
・FA残留を見せた番長がまぁ例年通りの活躍。いなかったら本当にやばかっただろう。(この年は51勝93敗。番長不在ならまず彼に代わる投手はここにいない投手からも務めることになり戦力大幅ダウン。そしてイニングイーターがいなくなるため中継ぎも負担増加。もし番長がいなかったら本格的に100敗も見えただろう。)
・防御率こそ悪いがグリンがムエンゴに苦しむ。ゾウのグリンのコピペ誕生へ。(元々は元日ハム・スウィーニーらしいとも)
・小林、登板数減でリセットを感じる。珍プレーもやらかしていた。 (下記動画参照)
・途中入団したランドルフの活躍が光る。なお翌年以降。

2bays10
・番長、大不振。他球団だったら引退のピンチだっただろう。
・彗星のように現れたムエンゴ加賀繁登場。
・大家がアメリカから復帰。パワプロ2010だと強かった。
・地味様こと清水、5点台で10勝。何があったし。
・昨年活躍のランドルフ、なお。

2bays11
・高崎健太郎、昨年の加賀に引き続き2年連続のムエンゴ病に。
・番長復活。翌年感動の通算150勝達成へ。
・須田ァ!がデビュー。よく今の地位まで登りつめたものだ。
・国吉もデビュー。
・寺原とトレードで来た山本、どうしてこうなった。なお寺原はオリックスで2桁勝利。
・加賀、先発とリリーフを行ったりきたり。マシンガン継投の被害者の1人だろう。昨年大のムエンゴだったがこの年は開幕戦リリーフで勝ち投手に。

以上が08-11年に渡る4年間の主な先発の成績だった。この4年間で23人がリストに名を連ねた。(1年あたりリストに8人、09年のみ同数がいたため9人)毎年のように投手をとっかえひっかえしていたことが窺える。
この23人の内複数回リストに登場したのは7人だ。そのメンバーは三浦、小林、吉見、寺原、藤江、ランドルフ、加賀である。当然三浦は4年間全てに登場しているが小林太志が10年を除く3年でリスト入りしていた。
各区分ごとのリスト入り回数は、
外国人8
若手7
新人6
外様5
三浦4
中堅2(実質吉見)
復帰1(実質大家)
となった。
新人若手を足すと13となり圧倒的多数派、割合にすると約4割となった。これを見るに、学徒出陣した若手、毎年とっかえひっかえした外国人に番長三浦が主要な先発要員であることが見えた。それに補助的な役目として他球団から移籍してきた投手が先発に入る形となった。
こう見るとやはりと言うべきか案の定と言うべきか番長頼みな先発だったことが分かる。そして毎年のように他球団ならとっくに2軍に行ってそうな成績の投手が結構な試合・イニングを投げている辺り深刻な人材不足だったことが分かるだろう。
それが今や先発リリーフを中心とした投手陣の力で試合に勝つチームとなり念願のCS出場を果たした。あれから5年以上が経過し時の早さを感じるばかりである。