さて、今年こそ念願のAクラスに入りCSに初出場した横浜だが、そこまで長く低迷。万年最下位で暗黒時代に陥っていたのは皆良く知っているだろう。
当時のネタとしてチームの勝率が首位打者の打率に劣る(08年:横浜.338 内川.378)というのがあった。
そこで今回は08年のケース同様に首位打者の打率>チーム勝率となった例を探そうという試みである。早速見てみよう。(とりあえすセリーグの首位打者と比較で)

1954 洋竹.250 与那嶺要(巨人).361
1955 大洋.238 川上哲治(巨人).338
1956 大洋.331 与那嶺要(巨人).338
1981 大洋.344 藤田平(阪神).358
1989 大洋.370 クロマティ(巨人).378
2003 横浜.324 今岡誠(阪神).340
2008 横浜.338 内川聖一(横浜).378
2010 横浜.336 青木宣親(ヤクルト).358

ワーオ、これは絶対にあきまへんで。
こうして見ると50年代半ば、80年代、00年代に10年とやらかした年代がまとまっている。TBS末期、主に08年から11年が暗黒の底として酷い時代だったのはよく知られる所だが50年代もそれを凌駕するレベルで酷い有様だ。特に54・55年。勝率が4割どころか3割を切るってあーた。首位打者がヒット打つ率より1割勝率が低いってこのご時勢考えるのは厳しい。
この2年間勝率2割台では流石に100敗しただろうと思われるがこの2年間は、
54年:130試合 32勝 96敗 2分 勝率.250
55年:130試合 31勝 99敗 勝率.238
と130試合制に救われたかギリッギリで100敗を回避している。(そもそも100敗自体61年に近鉄が103敗をした以外事例がない。)
そもそも50年代は54年から59年まで6年連続最下位というTBS末期からDeNA初期に08年から12年までしでかした5年連続最下位を越える連続最下位を見せつけ低迷する中翌1960年に三原監督が就任し優勝というもう何が何だか分からないことをしでかしている。(ちなみに優勝の翌年は最下位。そして38年待つことに・・・)
それとやる大矢などでお馴染みTBS末期より大ちゃんが率いた2003年の方が勝率が低かったのには驚かされた。もっとも負け数は似たり寄ったりで03年は140試合、08年や10年は144試合と試合数の差が響いたかもしれない。

最後に余談だがお前のチームはどうなんだって言われると現在勝率.351だ。規定到達のトップが純狐で.341に規定は到達してないが夢月.359にレミリア.371が控えている。
さて、どうなる!?