納税は国民の義務です

東方BIG野球のプレー記録、その他諸々な感じです。

2016年11月

えー早いもので明日で12月ですね。2016年も残り1ヶ月であります。年末年始でコミケをはじめ様々なイベント目白押しな12月です。

現在CSも絶賛開催中です。どこが今年のチャンプになるのでしょうか。今回は短いですがそれでは。

28日夜、CS2016第2ステージ第6戦が行われ地底が6-4で霧島に勝利し4勝3敗(アドバンテージ1勝)でCS決勝進出を決めた。
前戦で霧島が4-2で勝利し3勝3敗のタイ同士で行われたこの決戦、5回に霧島に先取点を許すものの直後幻月の一発で同点に。7回には1死満塁の好機でドレミーが勝ち越しの満塁弾を打ち4点リードに。さらに8回にも追加点を取り5点リードで最終回へ。地底は最終回3点を返されなおも2死2.3塁のピンチを作るも最後の打者ヘカーティアを外野フライに打ち取り試合終了。決勝進出を決めた。

地底000 001 410=6
霧島000 010 003=4
勝:パチュリー
負:豊姫

さて、今日は昨日の話のおまけです。
指の救済措置として連勝ごとに指を生やそうと思い何本の指が戻ってきたか見てみます。

4/16-17 1本
4/16 14-1
4/17 4-3

4/30-5/1 1本(計2本)
4/30 16-1
5/1 7-6

5/5-6 1本(計3本)
5/5 10-9
5/6 2-0

5/13-14 1本(計4本)
5/13 5-0
5/14 5-4

5/28-29 1本(計5本)
5/28 5-4
5/29 6-5

てなわけで指が5本戻り22-5で17本の指を失う計算になりました!前回両手足を5月中に失ってしまいましたがなんとかそれを回避することが出来ました。それにしてもお前連勝してなくない?って思ったアナタ、これは事実、実際の結果であります。もう6月に入ったというのに3連勝はなく連勝も5回きり。いやぁーキツいっす。
とにかくまだ指が3本あるという喜びを胸にこの記事を〆ましょう。それでは。

image

2012年、横浜DeNAベイスターズ初年度にこんなコピペが流行った。

「中畑「おう石川!」
石川「監督!ど、どうしたんですかその指!!」
中畑「覚悟の現れ!いいだろう?連敗するごとに指を一本ずつ自分で折ってくんだ」
石川「!!」
中畑「お前たちが頑張って、俺も頑張って、一丸となって指を守っていこう!」
梶谷・石川「監督・・・・!俺たちのせいで・・・・!」
アナウンサー「歴史的敗北!!ベイスターズ、悪夢の20連敗です!!」
車いすの中畑「・・・(キュラキュラキュラキュラ←車いすを漕ぐ音」
梶谷・石川「・・・・」
中畑「・・・・・・・(キュラキュラキュラキュラ」」

こう書くと今回やりたい事が分かった方もいるのでは?その通り今回はここまでの戦績から私の指が
どれだけ折られたのか調べようと思います。では早速何本の指が犠牲になったか見てみましょう。

3/29-4/5 6本
3/29 0-2
3/30 3-5
4/1 2-5
4/2 5-7
4/3 2-9
4/4 4-9
4/5 1-4
早速手が1本逝かれる

4/8-4/9 1本(計7本)
4/8 4-9
4/9 3-4

4/11-4/15 3本(計10本)
4/11 4-6
4/12 4-13
4/13 0-8
4/15 1-3
4月中旬にして両手終了のお知らせ

4/22-4/24 2本(計12本)
4/22 5-6
4/23 7-8
4/24 1-4

5/3-5/4 1本(計13本)
5/3 7-9
5/4 6-18

5/7-5/11 4本(計17本)
5/7 4-10
5/8 2-5
5/9 2-5
5/10 1-2
5/11 3-6

5/23-5/26 3本(計20本)
5/23 2-4
5/24 4-5
5/25 2-3
5/26 1-6
まだ5月も終わってないのに両手足が逝く

5/31-6/3 2本(計22本)
5/31 2-4
6/1 9-10
6/3 6-8
人間には215本も骨があるのよ!22本くらい何よ!
と、言うわけでまだ6月はじめなのに両手足が終わり合計22本の骨がお亡くなりになりました。この分で行くと手足どころか何本の骨が逝くのか分かったもんではありませんがプロ野球は1年で140試合程度なので1年で全ての骨をなくす心配はしないでよさそうです。ちなみに2012年の中畑さんは計50本だったそうです。私はキヨシ超えが出来るのか!?それでは。

さて、今年こそ念願のAクラスに入りCSに初出場した横浜だが、そこまで長く低迷。万年最下位で暗黒時代に陥っていたのは皆良く知っているだろう。
当時のネタとしてチームの勝率が首位打者の打率に劣る(08年:横浜.338 内川.378)というのがあった。
そこで今回は08年のケース同様に首位打者の打率>チーム勝率となった例を探そうという試みである。早速見てみよう。(とりあえすセリーグの首位打者と比較で)

1954 洋竹.250 与那嶺要(巨人).361
1955 大洋.238 川上哲治(巨人).338
1956 大洋.331 与那嶺要(巨人).338
1981 大洋.344 藤田平(阪神).358
1989 大洋.370 クロマティ(巨人).378
2003 横浜.324 今岡誠(阪神).340
2008 横浜.338 内川聖一(横浜).378
2010 横浜.336 青木宣親(ヤクルト).358

ワーオ、これは絶対にあきまへんで。
こうして見ると50年代半ば、80年代、00年代に10年とやらかした年代がまとまっている。TBS末期、主に08年から11年が暗黒の底として酷い時代だったのはよく知られる所だが50年代もそれを凌駕するレベルで酷い有様だ。特に54・55年。勝率が4割どころか3割を切るってあーた。首位打者がヒット打つ率より1割勝率が低いってこのご時勢考えるのは厳しい。
この2年間勝率2割台では流石に100敗しただろうと思われるがこの2年間は、
54年:130試合 32勝 96敗 2分 勝率.250
55年:130試合 31勝 99敗 勝率.238
と130試合制に救われたかギリッギリで100敗を回避している。(そもそも100敗自体61年に近鉄が103敗をした以外事例がない。)
そもそも50年代は54年から59年まで6年連続最下位というTBS末期からDeNA初期に08年から12年までしでかした5年連続最下位を越える連続最下位を見せつけ低迷する中翌1960年に三原監督が就任し優勝というもう何が何だか分からないことをしでかしている。(ちなみに優勝の翌年は最下位。そして38年待つことに・・・)
それとやる大矢などでお馴染みTBS末期より大ちゃんが率いた2003年の方が勝率が低かったのには驚かされた。もっとも負け数は似たり寄ったりで03年は140試合、08年や10年は144試合と試合数の差が響いたかもしれない。

最後に余談だがお前のチームはどうなんだって言われると現在勝率.351だ。規定到達のトップが純狐で.341に規定は到達してないが夢月.359にレミリア.371が控えている。
さて、どうなる!?

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